3ヶ月だけください

毎回1つのお題に4人のブロガーが答えていく期間限定ブログ

書くことで救われる。読まれることで過去になる。

こんにちは、はせ おやさいです。今回のお題「書くことをやめる時」ですが、それについて考えてみるときに、そもそもわたしにとって「書く」ってなんじゃ、ということについて、振り返ってみました。

これを書き始める前までは、(前のお題でも書いたのですが、)わたしは書くことでネットとリアルの境界線をなくして、自分の分身をインターネットに残し、早くわたしという実体をなくしたい、という欲求があり、わたしが考えたことや感じたことをアップロードしきったら、生きる理由がひとつなくなると思う、と考えているので、たぶん、その答えと近い結果になるのかなと感じていました。
そう考えてみると、「書くことをやめる時」というのは、自分の中から1ミリも新しい感情や考えが湧き上がらなくなったとき、アップロードすべき自分コンテンツが何もなくなったときが、イコール、わたしが書くことをやめる時になるのだろうなと考えていたんですけれども、割とホットなトピックスとして、ついここ数週間、人生でも3本の指に入るくらい、精神的にかなりハードな状況に置かれていまして、そこをくぐり抜けてみたら、ちょっと考えが変わったので、そのことについて書きます。タイムリーですね。

書くことで救われる

いっそ殺せと思うほど精神的に参りそうだったこの数週間、いつも以上に、あちこちへテキストを書き散らかしました。表に出すもの、出さないもの問わず、何しろ「今この瞬間に思っていることを書き続けないと、心が死んでしまう」という勢いで、寸暇を惜しんで書きました。
その状態を通過して思ったのは、わたしにとって「書く」というのは、自分の置かれている状況を整理したり、考えを理論だてたり、感情のうねりに理由を持たせたり、何しろ「自分の内側を外に出す」作業であり、外に出すことで苦しさや辛さ、悲しさを、他人ごととして冷静に向き合うことが出来るようにするためのプロセスだったのだ、ということです。
「書く」という行動に走るのは、本当につらいときシェルターへ駆け込むようなもので、わたしは今までの人生においてそのプロセスを持てていたことで、なんとか発狂せずに生きて来れたんだなあ、というのを実感しました。

わたしが「書く」ときにすることは、まず自分の感情をしっかり見ること、その輪郭というか、かたちを認識して、丸いのか、尖っているのか、しっかり実感する作業から入ります。その輪郭を認識したら、その輪郭になった理由を探し、理由を表現するのに適した言葉を探します。言葉が見つかったら、一番自分の感情に近い並び方になるよう、つなげたり、入れ替えたりします。
そうして文章が出来上がるまでのプロセスにおいて、わたしはわたしの感情から距離を置くことができ、冷静に向き合えるようになるのだと思いました。

読まれることで過去になる

じゃあそれで十分じゃないか、感情の整理として書くのであれば、ローカルに保存しておけば済むじゃないか、とも思います。なぜわざわざそれを、インターネットで公開してしまうのか。公開することでされなくてもよい批判を浴びたり、知らない人の評価にさらされて、自分で自分を傷付けるようなことを、なぜ自らするのか。自分でもバカだなとは思うのですが、でも、そうしないと「過去」として処理ができないからなのだと思います。

いつまでも感情を自分の手元に抱えてしまうと、ずっと熱くて重いまま、わたしの中から出て行きません。どんなにカタチを把握できても、どんなに距離を置けていても、その熱が身体の中にあることに、変わりないからです。

身体の外に出した熱は、しばらくの間、まだわたしの一部として痛覚が残ります。書いて出した自分の過去が非難されれば、心が痛みます。それでも、何度も痛みを感じていくうちに、感覚はだんだん麻痺していって、ゆっくりと、かさぶたが出来て傷が治っていくように、わたしの熱は「過去」として処理されます。わたしの熱が生んだ傷を引っ掻き回す人もいれば、そっとなでてくれる人もいて、そうやって他人の手で触れられることによって、わたしも第三者として自分の熱と、傷を見つめることができる。
そしてよく見つめてみれば、その傷の大半は、「どこにでも、よくあること」なんです。
そうやって「自分の熱」を、「傷」をいつまでも特別扱いせず、平準化することでやっと楽になれるのだと思います。こんなことはたいしたことじゃなくて、どこにでも、よくあることなんだ、と。

そうして過去になったわたしの傷は、インターネットを放浪するわけですが、たまに亡霊のように姿を現してきたり、思わぬ誰かが読んでくれて数年ごしのコメントをくれたり、いろんなハプニングがありますが、それもまた、過去から今のわたしに向けてのプレゼントのようで、楽しみのひとつです。

ブロガーという不治の病

そんなやり方を知ってしまっているので、たぶんわたしはこのまま一生書くことをやめないし、書く場所が変わったとしても、誰かの目に触れる場所で書き続けるんだろうな、と思っています。そして書き続けること、やめずに来たことは少なからずわたしの自信になっています。なんだかんだで20年以上、思ったことをどこかに書いて、書いて、書いて、今も書き続けてるというのは、「何があっても絶対にやめられないことがわたしにはある」という感じで、唯一と言っていいほど、頼もしい感情です。なのでたぶん、書くことをやめるとき、というのは、一生来ないんじゃないかな。
死ぬまでは分からないですけどね!


とはいえ、この「3ヶ月だけください」というのは今月でおしまいです。
3ヶ月、早いような短いような感じでしたが、何かにちゃんと終わりが来て、自分の意志で終わらせる、というのはなかなか面白い経験ですね。普段のブログは書きたいときに書いて、書きたいことがないときには書かない、というスタンスなので、新鮮でした。

説明不足な部分もあったかもしれませんし、読む人も書く人も手探りだったと思うんですが、わたしはやってみてよかったなと思います。みなさんは、どう思われますか?

今日はそんな感じです。
チャオ!

著者プロフィール

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ブロガー/ライター/会社員

酒と読書とおいしいものでできています


・個人ブログ「インターネットの備忘録」を書いています→http://hase0831.hatenablog.jp/

・サイボウズ式ブロガーズコラム連載中です→http://cybozushiki.cybozu.co.jp/bloggers

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