3ヶ月だけください

毎回1つのお題に4人のブロガーが答えていく期間限定ブログ

はじめに言葉ありき、おわりに言葉は失われし

今回のお題は「書くことをやめる時」なのですが、「書くこと」の定義が難しいですね。仕事やコミュニケーションの場で書くという手段が排除される可能性であったり、ブログやSNSやWEBメディアなどの公開された場で書くのをやめる時であったり、クローズドSNS、増田、匿名掲示板、日記、メモ、エトセトラ、エトセトラ。少なくとも3ヶ月目を迎えた『3ヶ月だけください』という場においての「書くことをやめる時」は着実に近づいています。

ひとくちに「書くこと」と言っても「場」を限定しないと話が進まないわけですが、「場」をわきまえないところで発生する問題こそが「書くことをやめる時」と密接に結びついているようにも感じます。例えば、インターネットにおける大抵の炎上は「居酒屋で仲の良い人と話すならよいけどさ」という事案なのですが、かつての深夜ラジオやマイナー雑誌にも半クローズドな共犯関係を前提にした下衆な発言やドロドロとした感情の吐露が多くありました。決して褒められることではありませんが、そういう言葉に宿る馬鹿馬鹿しさや共感や安心感に救われてきた側面もあるんですよね。

だけど、居酒屋トークや深夜ラジオやマイナー雑誌から勝手に抜き出してインターネットなどの別の「場」に移動させてしまったり、自ら不用意に公開してしまう人々によって、それらの言葉は失われていきました。大槻ケンヂが「的場浩司現象」と言っていたのですが、「タイマンの喧嘩はほとんど勝っていた」と対談で嘯いていた的場浩司が、近年ではいくら話を振られても、そういう話を一切しなくなったという現象があって、その理由にインターネットで書き立てる人々のことが挙げられていました。ロックミュージシャンや作家の私小説的に修飾された武勇伝が語られにくくなったのも同根です。僕が好きになるブログでも半クローズドな共犯関係が見えることが多いのですが、最近は踊り子に触れて壊してしまう事案ばかりが目につきます。

僕自身もフェイクドキュメンタリー形式にしないとドロドロとした感情を表現しにくいです。とはいえ、この形式にも問題があって、フェイクを混ぜてようが元になった話に関係する人々に到達して気付かれる可能性はあるし、フェイクを混ぜているからこそ「都合の良い話に改変してる」「針小棒大に盛っている」なんて名乗り上げられたり、「虚言癖」「独り善がり」「直接言えよ」という印象が強化されがちです。そういうメタコミュニケーションを含めて無粋な言葉として明記しておく必要のある関係性にまで到達しやすいというのが発達しすぎたネットワーク社会なのでしょう。

今回のお題になぞらえて、一週間ほどブログを更新せずにインターネットそのものからも遠ざかっていました。期待や鬱屈を抱えながら自己療養へのささやかな試みを続けていた18ヶ月前に比べたら隔世の感がありますが、特に大きな変化も反応もありません。既に悪い意味で手慣れてしまったり、思考から消えていることが多くて、いちいち「やめます!」なんて騒げるのは強い執着が残っているからであると再認識しました。

そもそも書くことをやめるための理由は特に必要とされないわけで、それでも敢えて書くことをやめる時に対する理由を明確に意識するのは、「書きたいが、書きたくない」という意思の発露でもあります。それは「ネガティブな事態を回避したい」という場合もありますが、もっと素晴らしい瞬間にこそ「書きたいが、書きたくない」を飛び越えて「ことばにしたいが、ことばにしたくない」と感じます。

もし僕らのことばがウィスキーであったなら、もちろん、これほど苦労することもなかったはずだ。僕は黙ってグラスを差し出し、あなたはそれを受け取って静かに喉に送り込む。それだけですんだはずだ。とてもシンプルで、とても親密で、とても正確だ。

自身の内心に留めてさえも言葉にしたら色褪せてしまうかもしれない瞬間について、三人称の文章を経由して間接的に伝えたところで、とても煩雑で、とても他人行儀で、とても不正確なものです。だからこそ僕らは命がけの飛躍をしながら、その場における「ことばにしなくても伝わる範囲」を明示的な言葉ですり合わせながら黙ってグラスを差し出す準備を整えておきたいのですね。

はじめに言葉ありき、おわりに言葉は失われし。恋の始まりはいつだって「あなたのことが、もっと知りたい」であり、恋が終わるのはいつだって「あなたのことは、もう分かった」です。だけど、互いの言葉を尽くして分かり合いたいという状態から、分かりつつあるからこそ無言で抱きしめたいという感情に立ち戻る瞬間こそが終わりの始まりであり、始まりの終わりの合図となるのでしょう。

著者プロフィール

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「3くだ」ではデザイン担当。会社員の傍ら、個人ブログ「太陽がまぶしかったから」を運営したり、企業メディアで執筆したり。通俗小説とボンクラ映画とロキノンに生かされている。
共著書に「レールの外ってこんな景色: 若手ブロガーから見える新しい生き方