ぼくはインターネット初心者なんですよね。
はじめてインターネットに触れたのも大学生の頃だし、テキストサイト全盛期とかも引きこもったり留年したり就職活動したりと忙しかったんでそんなにガッツリ読んでたわけでもないし、おまけに働きはじめてからはむしろインターネットを「なんだこいつら勝手に言いたいことを言いやがって」と目の敵にしてたりしてましたし、あと職場の同僚が「これからはWEB2.0だぞ」とか言ってても、お前はいつも「これからは」「これからは」って何かに乗っかるつもりしかねーのかよ、ほんとそういうのダサいよ、ダサいやつの典型じゃねーかよ、勘弁してくれよと、まあそう思ってました。
で、あれから十数年経って今さらインターネットというかブログにハマっちゃって、こうやっていそいそと地味なテキストばっかり書いてるわけですが、そんなインターネット初心者のぼくは今までインターネットの「向こう側」、つまりリアルな生活しか見てませんでしたし、知りませんでしたし、それ以外に興味もなかったですね。
なぜなら、インターネットに住む人たちというのは、リアルで生きている人たちとは別の人間だという認識がなかったからです。
『サマーウォーズ』観たときもね、後輩が絶賛してたんでいちおう観ましたけどね、気持ちワルって思いましたね、これ作ってる人たち、なんかあっちの世界に入っちゃって戻ってこれなくなっちゃってるんじゃねえの、もっと現実見ようよ、現実、気持ちワル、ってね。
ああそれそれ、あの頃のぼくには「インターネットの世界に踏み込んだら戻ってこれないのじゃないか」みたいな不安があった。
なんというか、進むぶんにはいいのかもしれないけどなんか戻ろうとした時に後ろから声かけられて、ふと振り返ったらキャーーーーーーーーーー
みたいな。
今でもね、ぼくブログ書いてるんですとか、このブロガーさん面白いんですよとか言うと、白い眼で見られることはあるんですね、もちろん今までよりは全然マシな反応だと思ってて、これを十数年前に「これからはWEB2.0だぞ」とか言うのはなかなか勇気がいったんじゃないかなと思うと、あの同僚はなかなかエライやつだなと、まあ気持ち悪いことには変わりはないんですけどね。
で、やっぱり今でもインターネットの話をリアルの世界で夢中でしゃべっている自分ってちょっと気持ち悪いよね感は否めなくて、当時のぼくはそういう気持ち悪い人たちのほうに行っちゃったらもう戻れないんじゃないかな、なんか自分たちの妄想の世界に閉じこもって、勝手に気持ちよくなったりしちゃってる人たちの1人になって、もうリアルの世界でガチで勝負する気力を失ってしまうんじゃないかな、と恐れていたんだと思います。
だけど実際にブログを書くようになってから知ったのは、あーインターネットで生きるのもなかなか大変だねえとか、ちゃんと注意して暮らさないとリアルの生活にも甚大なダメージあるよねとか、あとリアルだけで暮らしていても出会えない素敵な出会いがあるよね、っていうこと。
で、そうなるとインターネットってのは戻ってこれるとか戻ってこれないとかそういうものじゃなくて、自分が今いる世界を広げたり深めたりしてくれるものなんだよね。
別にインターネットでの経験がいきなり今日の社内打ち合わせで使えそうな有益な情報に変わるわけではないけれど、しかしクライアントとしゃべっている時に「まあこんな風にしゃべっているのとは実は別の世界ってのも存在するんだよね~」って心の中で思っているだけで不思議と余裕を持ってプレゼンテーションできたり、いつもはすぐにおさまりそうな夫婦ゲンカが、これなかなか複雑にこじれてしまった場合でも「あ、これなんとか小町で出てたやつや!」と思えば自分だけがにっちもさっちもいかない状態ではないと気づくことができて、来るべき長期戦をくぐりぬけた先にある休戦へのロードマップも描くことができたりするわけです。
あと、ブログによって自分語りをすることによる効用っていうのもいっぱいあるのですけど、まあその話は今回は割愛しますけど、とにかくインターネットで活動することで色々と素敵なフィードバックがあるのですよね。
いやそうじゃない、っていう人がいるのもわかった上で言いますけど、これってイマジネーションの問題やと思うんです。
「インターネットは今いる自分の世界をぐぐぐっと広げたり深めたりしてくれる便利なもの」と想像する人にとっては、インターネットはそうありえるし、金を稼ぐ道具と思う人にとっては道具だろうし、広告媒体と思う人にとっては広告媒体なんでしょうし。
で、ぼくらは今、いやもうだいぶ前から、試されてると思うんですよね、自分がどれぐらいやわらかな想像をすることができるかってのを。
それって別にインターネットのなかった世界でも同じだったと思ってて、たとえばある会社の創業者の半生について色々と話を聞いていた時の話なんですけど、戦後に田舎から船で都会に出てきたんですよね、その人。
で、船が陸地に近づいてくると、終戦直後なもんで、平野が一面焼け野原になってて、建物やなんや全部が焼失しちゃってて。
それで、こう、ダーーっと何にもない光景が横たわってるんですよ、ダーーーっとね。
それ見て、その人はワクワクした。
「こわいな」とか「不安だな」ではなくて「ワクワクした」んですよね。
これがイマジネーションだと思うんですよね、そりゃまあ不謹慎だとか今なら言う人がいるんでしょうけど、とにかくこれまであって当たり前だったものが全部なくなっちゃってる場面に出くわした時に、こりゃなんだってできるぞってワクワクできるっていいなあと思った。
とまあね、なんだお前アホみたいにぽぢてぃぶしんきんぐしやがって、現実はそんなに甘くないんだ、お前だけそう思っておけばええやないかと、こう思われる方もいらっしゃると思いますけど、それについては了解しました、としか言いようがなくてすみませんです。
残念ながら、ぼくは遅れてきたインターネット初心者として、いまのインターネットにワクワクしてますし、リアルとの境界線なんて気にしちゃもったいないと思うし、そんなものは気にしている人だけ気にしておいてくれれば、これはありがたい、こっちは自由に行ったり来たりできるのだからチャンスが広がるぞと、こうバカみたいに楽観的に考えてます。
まあ無事に初心者マークを返上して、中級者になれた時にどんなことを思っているのはさっぱりわかりませんけどね。
だけど未来はわからないからこそ面白いのであって、そこんとこだけは強調しておきます。
ほなね~
著者プロフィール
中年にビミョーにさしかかり、色々と人生に迷っていた頃に、はてなブログ「犬だって言いたいことがあるのだ。」を書きはじめる。言いたいことをあれこれ書いていくことで、新しい発見や素敵な出会いがあり、自分の進むべき道が見えるようになってきた。コーヒーをよく、こぼす。