3ヶ月だけください

毎回1つのお題に4人のブロガーが答えていく期間限定ブログ

3ヶ月のことを、1日で考える。




「3カ月だけください」では同じお題について4人がそれぞれの答えを書いていたけれど、みんなの答えについての感想を書いていないと思った。



~第1回~

「インターネットとリアルの境界線」を4人で考える - 3ヶ月だけください

このお題では、意外とみんなの意見が近いところにあったように思う。

「インターネットとリアル」という区分のしかたはとてもわかりやすいですが、そのような区分をする前に、私たちはすでに、「1人でいるときの自分」「恋人といるときの自分」「職場での自分」と、いくつもの自分を日常生活において使い分けています。「インターネットとリアル」という二分法ではなく、すでにあるそのたくさんの自分のなかに、「インターネットの自分」という新たな一項目が加わるだけなのではないかと、最近の私は考えています。

「インターネットの自分」は、たくさんいる自分のなかの1人に過ぎない - 3ヶ月だけください

僕にとっての「ネットとリアルの境界線」は5%ぐらいリアル側に踏み込んだ場所にあって、一定の範囲まではリアルに影響があったり、「きっかけ」にはなるという認識です。

インターネット人格で為される仕事や恋について - 3ヶ月だけください

少し違うことを書いていたのが、はせおやさいさんid:hase0831の「インターネット上に自分の人工知能を残したい」というお話。

わたしはわたしが考えたこと、思ったことのなるべくすべてをインターネットに書き残して、「ああもうだいたい書いたな、思考パターンのバリエーションが出揃ったな」と思えるようになったら、そのパターンを作ってわたしの人工知能を作って欲しい。そうしてわたしは100%の再現性を持った何らかの生き物になって、自我を失ったとしても、困っている誰かや悲しんでいる人たちの救いになるような言葉を吐き出し続けたい。

「インターネットとリアルの境界線」がなくなるとき - 3ヶ月だけください

たしかに、ぼくは自分の複製をインターネット上に作っているのだとしたら、いいことやかっこいいことばかりを書いていても本当のコピーにはならない。
悩んでいることや恥ずかしいことも含めてさまざまな情報を送りこんでいくことで、精度の高い複製体となるのである。
遠慮せずにどんどん書いていけばいい、それがもう一人のぼくを作ることになるのだから。

そう考えると、毎日を生きることがまったくムダではなくなるし、トラブルも楽しめるようになる(かもしれない)。


~第2回~

「個人プレイの人が、コラボレーションの人になるとき」を4人で考える - 3ヶ月だけください

このお題では、「コラボレーション」にふさわしく、チェコ好きさんid:aniram-czechの記事に、はせおやさいさんから言及があった。

私は、私のスタイルや文体を崩してみたいと思いました。他の3名の方や、いつもとちがった取り組みをしている私の文章を読んでくれている人からの反応で、自分のいつものやり方を通せないことで、自分が作ってしまった様式を一度バラバラに壊してみたいと思いました。

「コラボレーション」に隠された真意。 - 3ヶ月だけください

というチェコ好きさんの意見に対して

チェコさんが「解体」を意識しているのだとしたら、わたしが本企画に期待するのは「研磨」です。より強く硬いものにぶつかって、磨かれたい。そのためには、他者の力が必要でした。

他者との関わりは新しい人生の可能性をひらく - 3ヶ月だけください

と、はせおやさいさんが言及。

「解体」にしても「研磨」にしても、自分が今とは違うものに変わっていくには、これまでの勝ちパターンにとらわれず、自分の構えを解かなければいけない。
それは簡単にできそうで、実はとても難しい。
おまけにブログというオープンな場所で不用意に自分を解体してしまうと、色んなリスクともなう。

これは普段の生活の中でも同じことが起こっているような気がする。
変わりたいと思っていても、一時的に自分が弱くなるということをなかなか受け入れられなくて変われない、というのはぼくだけではないだろう。
このあたりは、引き続き考えていきたいなあと、面白い宿題をもらった。


~第3回~

「人生に恋愛が必要な理由」を4人で考える - 3ヶ月だけください

ここでちょっと毛色の違うお題。
おまけに「人生には恋愛が必要」ということを無理やり前提にして考えないといけない、というひどいものだったけど、みんな、なんとか考えた。


ここでは池田仮名さんid:bulldraが「『人それぞれ』からの脱却」という面白い視点を出した。

恋愛感情や親愛感情は「人それぞれでは僕自身が困ってしまう部分」を良くも悪くも拡張する可能性があります。相手の感情変化への同調意識が生まれて「他者」としての境界線が揺らいでいくと、喜ばれるような事をしたいとか、悲しんでほしくないという当事者性が強くなるので、結果として「普段との距離*1」が確保されるし、幸福の総量が少しだけ増える可能性があります。「分かち合えば、喜びは二倍に、悲しみは半分に」ということですね。まさに、ひとりで生きるのも死ぬのもおっかなくて寂しいのです。

恋愛という極めて私的な営みを第三者の審級に委ねるな - 3ヶ月だけください

たしかにぼくらは「まあ何を価値だと思うのかは人それぞれだから・・・」という魔法の言葉を使うことで、他人と同じ価値や感情を共有できない事象について必要以上に考えないようにしている。
しかしそれでもこの人とは同じ想いを共有したい、と思う(思ってしまう)のが恋愛であり、だからぼくらは悩むし、お互いの想いが通じ合った時にこのうえない気持ちよさを感じるわけである。

また、ぼくは新しい発見をもたらしてくれる存在と出会うことを「恋愛」と拡大解釈して考えた。

ぼくが見たことのない世界を見せてくれるおっさんも大好きだ。

もちろんぼくもそれなりに色んなものをつまみ食いしてきているので、何を見てもそうそう驚きはしない。

しかし世の中にはぼくの想像をはるかに超えるところで生きているおっさんがいて、彼が何か新しい経験をもたらしてくれるたびに、ぼくは好奇心を満たされて、快感にあえぐのである。

おっさんが恋をするべき相手は、おっさん。 - 3ヶ月だけください

このへんは、今読み返しても、そうだなあと自分では思う。


~第4回~

「書くことをやめる時」を4人で考える - 3ヶ月だけください

そして最後のお題への答えは、みんな少しだけ共通点があった。

「書くことをやめる」ということを考えるときに、同時に「読まれなくなること」についても考えているのである。

おそらく私にとっては、自分の考えたことを文章化するという行為と同等かそれ以上に、書いたものをだれかに読んでもらうということが、すごく重要なのでしょう。その理由は、承認欲求みたいなものももちろんあるけれど、純粋に、「だれかが目を通すための文章」と「自分だけが読む文章」とでは、書いてできあがるものがまったく異なるものになるからです。

どんなブログにも、必ず「最後のエントリ」がある。 - 3ヶ月だけください

なぜわざわざそれを、インターネットで公開してしまうのか。公開することでされなくてもよい批判を浴びたり、知らない人の評価にさらされて、自分で自分を傷付けるようなことを、なぜ自らするのか。自分でもバカだなとは思うのですが、でも、そうしないと「過去」として処理ができないからなのだと思います。

書くことで救われる。読まれることで過去になる。 - 3ヶ月だけください

はじめに言葉ありき、おわりに言葉は失われし。恋の始まりはいつだって「あなたのことが、もっと知りたい」であり、恋が終わるのはいつだって「あなたのことは、もう分かった」です。だけど、互いの言葉を尽くして分かり合いたいという状態から、分かりつつあるからこそ無言で抱きしめたいという感情に立ち戻る瞬間こそが終わりの始まりであり、始まりの終わりの合図となるのでしょう。

はじめに言葉ありき、おわりに言葉は失われし - 3ヶ月だけください

それをなんとか人が読めるような内容に仕立てなければと四苦八苦しているうちに、もとのモヤモヤが解消されてスッキリした顔つきで公開ボタンを押していることもあるけれど、書き終えてからも、やっぱりあんなこと言わなきゃよかったとか、しょうもないやつだと思われてるんじゃなかろうかとか、悶々としていることも多い。

書くのを、早くやめたい。 - 3ヶ月だけください

本当に自分だけが読めたらよい文章なら、わざわざ他人が読めるような場所に書いたりはしない。
もちろん書くことを、じっくり考えたり、そこから新しい視点を見つけたり、次の行動へとつなげるための手段として使ってもいるのだけれど、ぼくはブログを書くときに、それがどこかで、誰かの目に触れ、うまくいけばちょっとだけ心のどこかの部分に、そっと触れることができるのではないだろうかという祈りのようなものを抱いている。

書き手は、読み手がいないと書けない。

読み手に書かされていると言ってもよい。

それぐらい「読む」ということは、実はとても能動的な行為なのだ。



結局、ぼくが言いたいことは、以下のようなシンプルなことである。




「3ヶ月ください」をお読みいただいたみなさん、ぼくらに3ヶ月をくださってありがとうございました。


著者プロフィール

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犬のサラリーマン/中年大陸の冒険家。

中年にビミョーにさしかかり、色々と人生に迷っていた頃に、はてなブログ「犬だって言いたいことがあるのだ。」を書きはじめる。言いたいことをあれこれ書いていくことで、新しい発見や素敵な出会いがあり、自分の進むべき道が見えるようになってきた。コーヒーをよく、こぼす。