隠したって仕方ないので白状するが、この数年のあいだに何度かおっさんに対してドキドキする気持ちになったことがある。
たとえば仕事帰りに夜道を歩きながら、その人の言ったことや行動について思い出して「ああ、あの人ってすごく誇り高い人なんだなあ」とか思った瞬間に、妙に胸の高鳴りを感じていたり、あるいは自分の考えていることがちゃんと伝わるかな・・・と思いながらメールを送った相手から、ぼくが考えている以上に考え抜いた返事が来たとき、「あれ、この人・・・好きかも」などと思ってしまう。
別にフィジカル面でどうこうしたいというわけではないのだが、この時のぼくの心の動きは、どう考えても恋愛のそれとひどく似ている、あるいは恋愛そのものなのかもしれないと思うのだ。
たぶん、原因はぼく自身にあるのだろう。
ぼくはこれまで自分のことばかり考えてきた。
どうすれば自分はもっと賢くなれるのか、もっとモテるようになるのか、もっと仕事ができるようになるのか。
いつも他人というのは脇役で、自分を高めてくれることはあっても、それ以上の存在ではなかった。
ひょっとしたら女性との恋愛においても同じだったのかもしれないけれど、父親になって、ようやく自分が主役でなくてもいい世界というものを認められるようになって(もちろん完全に認めているわけでないが)、ようやく自分と関わりのある人たちのことをちゃんと見るようになったのだろう。
そして、おっさんという、自分と同質の存在に対してもまっすぐに見つめる勇気を持てるようになったのだ。
とはいえ、どんなおっさんでも好きだというわけではなくて、ぼくにも好みはある。
一番好きなのは、悩みながらも変化をし続けるおっさんだ。
この、悩みながらも、というところが味わい深くていい。
ひょうひょうと環境に順応していく器用すぎるおっさんというのはセクシーさに欠ける。
口ではこんなことは簡単さと言いながら、シャツの背中は汗でぐっしょりと濡れている感じがよいのである。
それから、他の人とはまったく違う価値観や考え方を持って生きているおっさんもたまらない。
それでいて一見普通のおっさんと同じように見えるとよりよい。
一体この人は、どうやって今までこんなユニークな考え方を保ち続けることができたのかと、興味がどんどんわいてくる。
ご存じのとおり、その人のことをもっと知りたい、と思うのは恋のはじまりである。
また、当然であるが「オレってこんなに変わった考え方をするんだぜ、すごいだろ」という感じをプンプン匂わせてくるおっさんにはまったく色気を感じない。
最後に、これまた当たり前ではあるけれども、ぼくが見たことのない世界を見せてくれるおっさんも大好きだ。
もちろんぼくもそれなりに色んなものをつまみ食いしてきているので、何を見てもそうそう驚きはしない。
しかし世の中にはぼくの想像をはるかに超えるところで生きているおっさんがいて、彼が何か新しい経験をもたらしてくれるたびに、ぼくは好奇心を満たされて、快感にあえぐのである。
まあこれはおっさんに限ったことではないけれども。
そんなわけで、ぼくはここのところ、おっさんによく恋をする。
おっさんはいい。
二人っきりの食事に誘ったって別に変な目で見られることもないし、相手の目を見つめて自分の想いを熱く語っても引かれることもないし、妻に気兼ねする必要も何もない。
思う存分、二人の時間を楽しめばいいのである。
おそらくぼくはそうやって、友情とか青春とかいう、若い頃にはついに発見することができなかった宝物を、あらためて探しているのだと思う。
「人生に恋愛が必要な理由」は、いくつになっても、そして相手が誰であっても、いつでもドキドキしていられる、そんな人生が楽しめるからである。
余命短し、恋せよ、おっさん。
著者プロフィール
中年にビミョーにさしかかり、色々と人生に迷っていた頃に、はてなブログ「犬だって言いたいことがあるのだ。」を書きはじめる。言いたいことをあれこれ書いていくことで、新しい発見や素敵な出会いがあり、自分の進むべき道が見えるようになってきた。コーヒーをよく、こぼす。